「離珠 対 ルーアン 朝焼けの決闘?!」
「あっさごはん、あっさごはん、今日は中華じゃなくて和食なの〜〜」
立ち昇る湯気の向こうで、シャオが歌いながらネギを刻んでいる。七梨家の家事全般を仕切っているシャオの朝はとても早い。
ピーッ!、ピーッ!、ピーッ!
炊飯器から短い電子音が鳴り、ご飯が炊き上がった事を告げて自動的に保温に切り替わった。こうして普通にご飯が炊けるこの炊飯器が、以前にルーアンの陽天心によって手足が生えた事があるとはとても思えない。
いや、思い出すのはやめよう。思い出すとご飯が不味くなりそうである。
「離珠、みんなのお茶碗とお箸を並べてね」
掛け時計でご飯の炊き上がった時間を確認したシャオは、テーブルの上の離珠に言った。
<はいでし>
テーブルの上でにっこり笑って胸を叩いた離珠は踵を返し、箸や茶碗を並べ始める。
楽しそうに食器を並べていく離珠を見てから、シャオは鍋のフタを取って合わせ味噌を溶き入れた。
お味噌とだしが合わさって、独特のいい匂いが台所を満たしていく。
満足気に目をほそめたシャオは、あらかじめ戻しておいたわかめと、刻んだネギを入れ、真っ白な絹ごし豆腐を手早く賽の目に切って鍋に滑り込ませた。
お味噌汁を沸騰させないように火加減に気を使って、ちょっと真剣な顔になったシャオは、鍋をぐるりとかき回して、そのまま目を離さない。
しばらくしてからお豆腐がふわっと浮かんできたのを見て、表情を和らげる。
「お味噌汁、完成〜っ!」
火を落としてフタをする。
ごはんが炊き上がってから約十二分。おしゃもじ片手に炊飯器のフタを開けたシャオは、内釜が回らないように布巾で端を押さえて、十分に蒸らされたご飯をふんわりとほぐしてから、ちょっとだけ炊飯器を開けたままにして蒸気を飛ばす。
こうすると余分な水分が飛んで、ご飯が水っぽくならないのである。
「ごはんも完成〜!」
ぱたんっと炊飯器を閉じたシャオは、ぱたぱたと食器棚に向き直って上の段の戸棚を開け、のり缶に手を伸ばした。
三日月のチョーカーの付いた細い鎖でくくられたかつおぶしの袋が、のり缶の隣で光っている。味のりの小袋を四つ取り出して、テーブルの上にいる離珠に渡す。
「離珠、これも並べてね」
<はいでし>
自分が並べた箸や茶碗を器用に避けながら、テーブルの上で離珠が味のりを運んでいく。ちょっと遠目に見ると、まるでのりが歩いているようにしか見えない。
「おはよう。シャオ」
太助がパジャマのまま、台所の入り口からシャオに声をかけた。
「あ、太助さま。おはようございます。朝ごはん、もうすこしですぅ」
「あ、ああ」
−− 朝からエプロン姿のシャオとこんな会話したら、まるで新婚さんみたいかも‥‥
どこか呆けた感じの顔をしている太助にシャオは、すっと近づいた。
「太助さま? どこか具合でも‥‥」
「えっ、いっ、いや別に」
「そうですか?」
ちいさくって、やららかい手が太助の額に触れる。水仕事をしていたせいだろうか、シャオの手はしっとりとつめたかった。
太助は反射的に少し身を引いた。
「だっ、大丈夫だよ」
「でもすこし顔が赤いみたい‥‥」
シャオは自分が原因だという認識は、まったくないらしい。
さらにもう一歩近づいたシャオが、しなやかな動きで太助の額に自分の額を合わせる。
−− ‥‥‥‥‥ ?☆◎#$%&¥*〜〜〜!!
いったいなにか起きたのかわからなかった太助が、さらさらの髪から漂うシャンプーの香りと、焦点が合わないほど近くにあるシャオの瞳で状況を把握するのに、約二秒。
言葉にならない驚きと共に、太助は完全に固まってしまった。
シャオの『顔近づけ攻撃』(無意識)にはなんとか慣れたものの、これは眠気もぶっ飛ぶ破壊力である。
固まったままの太助の気持ちを知ってか知らずが、シャオは額を合わせた時と同じよう離れた。
「う〜ん‥‥お熱はないみたいですね」
どんっ‥‥ばんっ、ばたんっ!
顔をさらに赤くした太助の真上から、騒音が降ってきた。
ずんっ‥‥がんっ、どどどどどど
二階から響いてくる騒音に、太助とシャオは同時に天井を見上げる。
ばきっ、みしみしみし‥‥‥‥
天井から視線を戻して、なんとなく見つめ合ってしまった太助とシャオの間に奇妙な沈黙が流れていく。
ごごごごごごごごご‥‥ぎりっ、ぎりっ‥‥
ずどおぉぉぉぉぉぉんっ!!
一際、お腹に響く音にびくっと目を閉じて、二人は同時に身をすくめた。
「きっ、キリュウが起きたな‥‥オレ、顔をあらってくるわ」
「はい」
シャオが、微笑んで応えると太助は軽く手を上げて台所を出ていった。
「離珠、ルーアンさんを起こしてきて」
<はいでし!>
離珠は元気よく返事をすると、テーブルを飛び降りた。
<シャオしゃま、今日もルーアンしゃんを起こす役目を離珠一人に任してくれるんでしね。がんばるでし!>
ルーアンの部屋へ駆けていく離珠を見ながら、シャオは少し心配そうな顔をした。
「だいじょうぶかしら‥‥最近、めっきり寒くなっちゃったから‥‥」
☆ ☆
階段を一気に上がってルーアンの部屋にたどりついた離珠は、ひとつ息をついて口元をきゅっと真一文字にした。
<さぁ、いくでしよぉ>
ベッドの足をよじ登ってたどりついた場所には、巨大な布団の山がそびえていた。もちろん離珠から見ればであるが‥‥
<ルーアンしゃん、いないでし。もう起きてしまったんでしか?>
離珠はいつも、ルーアンが寝ているベッドの枕元側の足をよじ登っていたのだが、今日に限ってそこにルーアンの姿(というか、頭)はなかったのである。
離珠が困った顔をしていると、布団の山がもこもこと動き出した。
<そんな所に隠れていたんでしね〜>
ちょっと不敵な笑みを浮かべた離珠はダッシュして、布団の中に潜り込んで行った。
「う、うぅ〜ん、たーさまったらぁ」
布団の山からルーアンの足が勢い良く飛び出し、離珠がポーンとはじき出される。ベッドのスプリングに何度かバウンドしてから体を止めた離珠は、頭をふるふると振って顔を上げた。
離珠を蹴り飛ばしたルーアンの足が寒さの為か、もぞもぞと布団に収納されていく。
<離珠の裏をかくとは‥‥ルーアンしゃん。やるでしね>
ルーアンは、その驚異の寝相をもって百八十度方向転換して眠っていたのである。
立ち上がって腕組みをした離珠は、しばらくむずかしい顔をして考え込んでいたが、表情をぱっと輝かせた。なにかよいアイディアを思いついたのであろう。再び布団の山=ルーアン に進撃を開始した。
今度は潜り込まず、布団の上に登り始めた。目指すは頂上‥‥じゃなくて、ルーアンの頭のある反対側である。
途中何度か、ルーアンの寝相によってうねうねと動く足元に転げ落ちそうになったが、そこは普段からシャオや太助の肩や頭の上で鍛えた抜群のバランス感覚で乗り切った。
<ふう。やっと着いたでし>
離珠はちょうど、ルーアンの肩のあたりから崖(?)になっている掛け布団の上から、崖下(?)を見下ろしていた。ルーアンの額から上の部分が見えている。
大きく一回、ちいさく二回、深呼吸した離珠は助走をつけてダイビングを敢行した。着地目標はもちろんルーアンの頭である。
離珠の体重約、百三十グラム(推定)。いつもなら、これで目を覚ますはずなのだが、(いつもやっとるんかい‥‥!?)ルーアンは一向に起き出す気配がない。
<だめでしか‥‥>
起きないと見るや、壁のようなルーアンの額を押して頭を揺さぶる。
<ルーアンしゃん、起きてくだしゃいぃぃぃっ>
「う〜ん‥‥」
一生懸命揺さぶった効果があったようだ。
最初はもそもそと布団のぬくもりを惜しむように動いていたルーアンだが、最後には意外と素早い動きで、むくっと起き上がった。
しかし‥‥とろ〜んとしたその目は完全に寝ぼけていた。
「ん‥‥‥んーっ」
上下左右をまんべんなく見てから、ルーアンは目の前にいる離珠に目を止めた。
「あら〜 おいしそうな、桃饅頭だこと‥‥」
<えっ‥‥?>
我が身に迫っている危機を肌で感じた離珠の顔に焦りの色が浮かぶ。
「ちょっと、形がイビツだけど‥‥」
離珠のお団子頭をむんずとつかんだルーアンは、ゆっくりと口に運ぶ。
<いやでし〜〜! 離珠は桃饅頭じゃないでしぃ〜っ!!>
頭をつかまれたまま、じたばたと暴れるが離珠の力では、どーしても逃れる事ができない。大きく開かれたルーアンの口が迫る。
<シャ、シャオしゃま〜〜〜っ!!>
☆ ☆
シャオは油がまわってパチパチと小気味いい音がするフライパンに、黄身を壊さないように卵を割り入れた。ちゅーんと音を立てて、鮮やかな色の黄身を中心に周りの白身から白くなっていく。続けて二個目の卵を割り入れる。
「太助さまは、半熟っと」
フライパンにフタをして弱火にすると端から水を少し入れた。水が入ると同時に音が一段と高くなり、中で熱せられた油と水が合わさって元気よく跳ねまわる。
「おはよう。シャオ殿」
まだ完全に目が覚めきっていないのか、キリュウがうぼ〜っとした顔で台所へ来た。
「キリュウさん。おはようございます」
「今朝は、目玉焼きか‥‥」
「はい、キリュウさん。焼き方はどうします?」
視線が宙を泳いだままのキリュウは、シャオの言う事を理解するのにすこし時間がかかった。
「‥‥‥焼き方?」
「太助さまと私は半熟で、ルーアンさんは両面焼きです」
「半熟‥‥両面焼き‥‥‥?」
キリュウはシャオの言葉を繰り返すように口にした。寝起きのため、意味を理解するのに時間がかかるらしい。
「か、固めでたのむ。顔を洗ってくる‥‥」
そこへ、太助が顔を洗って戻って来た。
「おはよう、キリュウ」
「主殿、おはよう」
うぼ〜っとした顔のままで、周りに渦巻きまで飛んじゃってるキリュウを見送ってから太助はテーブルについた。
「相変わらず朝、弱そうだなキリュウは‥‥でも自分で起きてくるだけマシか‥‥」
ちょっと困った顔でくすくすと笑いながら、シャオは太助の前に焼きたての目玉焼きを置いた。
太助はまったく気づいていないのだが、シャオは太助が顔を洗って戻ってくる頃に焼き上がるように目玉焼きを焼いていたのである。心遣いの細やかさは守護月天としてではなく、シャオ自身が持つ生来の性格による所が大きい。
「はい、太助さま」
続いてシャオはおいしそうに湯気を立てている、ふっくらご飯をよそった茶碗を両手で持って渡してくれる。
「ありがと。ルーアンは?」
「離珠が起こしに行ってます」
言いながらシャオは、お味噌汁を目玉焼きの隣に置く。
「‥‥‥!」
それまで、にこやかだったシャオの表情が微妙に堅くなった。
「どーしたんだ? シャオ」
「太助さま。私、ちょっと行ってきます」
「え‥‥? ちょ、ちょっとシャオ!」
次の問いをかける間もなくシャオは、ぱたぱたとスリッパの音を残して出ていってしまった。
☆ ☆
ルーアンに食べられそうになった離珠は、ベッドの端まで避難して来ていた。
ルーアンが桃饅頭=離珠を一口で食べようと、口に投げ込んだのが幸いした。ルーアンの口めがけて投げ込まれてしまった離珠は、じたばたと暴れていたため、口には入らずに鼻に当たってベッドの上に落ちたのである。
「ん?」
ベッドの上で体を起こしたままのルーアンは、離珠が当たった拍子に完全ではないが目が覚めたらしい。自分がベッドの上にいることを自覚したようだ。つい先刻まで目の前にあった桃饅頭は夢だったと認識したらしい。
「はっ、はっくしょん!!‥‥‥ううっ、さむ、さむ」
ルーアンは大きなくしゃみをすると、再び布団の中に潜り込んでしまった。
薄暗いルーアンの部屋にシャオがそーっと顔を出す。入って来たシャオの姿を見つけるなり、離珠はシャオの元に駆け出した。
<ルーアンしゃん、きらいでし、ぜんぜんおきないでし>
半べそをかいて、むくれ顔の離珠はシャオの掌の上でずずっと鼻をすする。
「離珠、ごくろうさま‥‥」
シャオは離珠をねぎらうように髪を撫でた。
またふとんを被って眠っているルーアンに近づいたシャオは、ひとつ深呼吸をして耳元でささやいた。
<シャオしゃま、だめでし。起きないでしよ>
「ルーアンさん、ルーアンさん。朝ごはん、なくなっちゃいますよ」
「なっ、なに〜〜ぃっ!!」
すばらしい勢いで飛び起きたルーアンは、シャオと離珠には目もくれずに部屋を飛び出して行った。
<シャオしゃま、すごいでし!>
勢い良く飛び出して行ったルーアンに、びっくりしたままのシャオの肩の上で離珠が称賛の声を上げる。(声は出ないが‥‥)
シャオはぺろっと舌を出した。
その頃、朝食をとっている太助の所に顔を洗ったキリュウが、まだうぼ〜っとした顔のまま戻って来た。
「シャオ殿‥‥‥ 私の目玉焼きは‥‥‥」
− おしまい −
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