小鳥のさえずりが微睡んでいた出雲に話しかける。
ブラインドの隙間から漏れる朝日が彼の思考を活性化させる
ベッドから身を起こし、ブラインドを指で広げると乾いた音とともに出雲の視界に外の光が飛び込んでくる。
眩しさに出雲は顔をしかめるが、不快な刺激ではなくむしろ心地よかった。
ブラインドを上げ、窓を開けると外の風が、外の活気が部屋中を満たす。
「今日もいい天気ですね、シャオさん元気でしょうか……」
出雲の休日は少し遅い起床から始まった……
「……変ですね」
他の場所も探してみるが、ムースはどこにも無かった。
「……どうかしましたか? 出雲さん」
がさごそと音を立てていた出雲を怪訝に思ったか、出雲の母が洗面所に入ってきた。
ご存じの方も多いと思うが、彼女の髪型も出雲と同じである。
「あ、おはようございます。母上」
彼が振り返ると出雲の母はちょっと苦笑する。
「どうしたのです? その頭は」
「買い置きのムースがどこにもないんですよ……」
すると彼女は事も無げに、しかし出雲にとってはしゃれにならない事を言った。
「ほほほ、ありませんよ。先ほど私が使ってしまいましたから」
聞けば、今日彼女は近所の生け花同好会の会合があるので、念入りに髪の手入れをしたらしいのだ。
それで、普段よりも多めに(注.尋常な量ではない)ムースを使ってしまったのだそうだ。
「と……とにかく、この髪では表に出られませんよ。買ってきていただけませんか?」
出雲はもう半分泣きそうになっている。
なんせ右半分は普段の出雲だが、左半分はだらりと情けなく寝ているのだ。
床屋で片眉を剃られたときのような心境か……
ともかく、このままではシャオに会いに行くことなどできない。
いや出雲は、こんな姿をシャオにだけは見られたくなかった。
しかし、彼の母は非情にも出雲の願いを叶えてはくれなかった。
「残念ですね……もう時間がありません。そろそろ迎えが来る頃ですから」
「……そ、そんな。お願いしますよ」
ぴんぽーん♪
彼の望みを絶つチャイムが鳴る。
出雲の母は「はーい」と返事をして、パタパタと玄関口へと消えた。
洗面所に残されたのはすがるように手を伸ばした出雲のみ。
ガックシとへたり込む出雲。
しばし無言。
「……ふ、ふふふふふふっ!」
突如壊れ気味に復活する出雲。
「甘い、甘いですよっ! こんなことで諦める私ではありません」
出雲は勢い良く立ち上がると自室に急いで戻る。
身支度を整え、サングラスを掛けると玄関へ向かう。
……とそこで、つい姿見を見てしまい、ハッと我に返る。
このままでは出雲だとバレバレだ。
少しカモフラージュする必要がありそうだ。
何かないかと探す出雲。
シャオの事になると、太助ほどではないが彼も尋常ならざる行動力を持っているらしい。
しばらく探すと、なんとか帽子を見つけることが出来た。
少し目深にかぶる。
続けて発見したコートを、なぜか羽織る。
「われながらちょっと怪しいですが、まぁ良しとしますか」(注.ちょっとどころではない)
片方だけ立った前髪を下ろせば良いようなものだが、今の彼には余裕がないのかそれにもすら気づかない。
こうして出雲は修羅の休日の第一歩を踏み出した。
「ですが、長居は無用というヤツですね……」
見られるのは慣れているが、こんなイヤな視線を向けられるのは慣れていない。
特に知り合いに見られるのだけは避けたかった。
最寄りのコンビニまでは後もう少しだ
「あれ? お兄さんじゃないの」
出雲は思わず飛び上がってしまう。
恐るおそる振り返ると、そこには翔子が立っていた。
「し、しょ、翔子さん!?」
声が裏返る。
妙に焦る出雲を見て翔子がおなかに手を当ててコロコロと笑い出す。
「あはは、珍しいね。お兄さんがそんなに取り乱すなんて」
「そ、そうですか? 別に取り乱してなんか……あははは」
最後の笑いはひどく乾いている。
出雲は会ってしまったものは仕方ないと腹をくくって、何とかイニシアチブを取り返そうと画策する。
シャオの周りにいる人間の中では、翔子はかなり鋭い方なので出雲はつい身構えてしまうのだ。
出雲の計画が何度か流されてしまったこともある。
弱みは握られたくなかった。
会話の流れを自分のモノにしてしまえばどうということはない。
「今日は……」
「ところでさー」
「今日はどこかにお出かけですか?」と問いかけようとする出雲の声にかぶせるように翔子が言う。
出雲は機先を制するのに見事に失敗する。
翔子は無意識のうちに出雲の目論見を制しただけに止まらず、続けて彼に爆弾を叩きつける。
「なんでそんな変な髪型してんの? お兄さん」
「はうっ」
一番言われたくない、一番自分にふさわしくない(と出雲が勝手に思っている)単語、「変」。
しかも自分の容姿の中では一番気に入っている、髪型が変だと言われたのだ。
出雲はふらりとよろける。
とっさに支える翔子。
「っとと、大丈夫か? お兄さん」
「……だ、大丈夫ですよ。し、翔子さん」
必死に笑顔で取り繕おうとする出雲だが、その頬の筋肉はいかにもひきつり、色男が台無しであった。
それでも必死に出雲は考えを巡らせる。
ここでこのまま翔子を放っておいたら、シャオにあることないこと言いふらされるかもしれないではないか。(注.いくら何でも考えすぎである)
「翔子さん、このことはシャオさんには……」
「このことシャオが知ったらどう思うかな? ね、お兄さん」
いたずらっぽく笑う翔子、口元が猫の口になっている。
「記念に写真でも撮っておこうか?」
「ち、ちょっとやめて下さいよ、翔子さん!」
イニシアチブを取るどころか不意打ちばかりをくらっている出雲。
このまま焦って何かしようとしてもファンブルは確定か?
「お願いしますよ翔子さん。私にできることなら何でもしますから……」
ついに泣き言に突入する出雲。
「簡単に『何でもする』なんて言うもんじゃないぜ。お兄さん」
「…………」
「ま、冗談だよ冗〜談♪」
「……年上をからかわないで下さいよ、まったく」
「おっと、あたし急いでたんだ。お兄さんと遊んでる場合じゃないや。んじゃなっ!」
そう言うと翔子は踵を返して、小走りに駆け去る。
(こっちは遊んでいたつもりはないんですがね……)
一気に全身に脱力感が襲い掛かる。
ここで真っ直ぐコンビニに行って、当初の目的を達成すれば良さそうなものであるが、つい翔子が何をそんなに急いでいたのか気になって、出雲は彼女の後を尾けることにした。
良く見れば彼女も少しコソコソとしているではないか。
翔子は電柱に隠れたりしながら、誰かの後を尾けているようにも見える。
出雲は目を凝らして、翔子の視線の先を追ってみる。
かなり先の方に見覚えのある二人が並んで歩いていた。
太助と花織のようだ。
「これは尾けてきた甲斐があったかもしれませんねぇ」
出雲はようやく活力が戻ってきたような気がして、内心ほくそ笑む。
そして太助と花織の後を尾ける翔子の後を続けて尾ける事にしたのであった。
その姿がいかに格好悪いかなど今の彼には気づけるはずもなかった。
『次は○○駅〜、降り口は左側に変わります』
車内アナウンスの声も、太助と花織に全神経を集中している出雲の耳には良く入っていなかった。
電車が、駅のホームに滑り込む。
耳障りなブレーキ音が耳に付く。
プシュ〜
突如出雲の背後の扉が開く。
出雲はバランスを崩して、ホームに尻餅気味に降りてしまう。
周囲からクスクスと忍び笑いが聞こえてくる。
見れば中高生くらいの女の子たちが出雲を見て笑っていた。
ここで彼の容貌をおさらいしておくと、前髪が半分寝たままの状態に野球帽を目深にかぶり、サングラスをかけて、コートを羽織っている変な男といった状態である。
普段の彼からは想像もつかないような格好をしているのである。
なおかつ、翔子も気づいたように出雲本人であるとハッキリと確認できるのである。
そして出雲は我に返る。
いくら変装(本人はしているつもり)しているとは言っても、こんな格好を長く続けるのは得策ではないと。
早くムースを買って身だしなみを整えるべきだったと。
痛む尻についた埃を払いながら、出雲は立ち上がるとコートの縦襟を立てて逃げるように駅のホームを後にした。
『ムースを手にとって、ブラシなどでお好みの形に整えたあと、ドライヤーで仕上げて下さい』
「はうっ」
あいにく、駅の化粧室にドライヤーは置いていなかった。
出雲は力無く化粧室を後にする。
再び駅から出ると出雲はドライヤーを求めて街をさまよう。
足取りは重く、ひどくゆっくりだった。
「……銭湯、そうだ銭湯に行ってみましょう」
ひらめきをわざわざ口に出して、出雲は銭湯を探しに、今度は足取りもしっかりと歩き出した。
そして、銭湯はあった。
あるにはあったが、開店時間は夕方の5時からだった……
「世の中うまくいかないモノなんですね……」
出雲はがっくりと肩を落として、再びドライヤーを求めて街をさまよい歩く。
一度家に戻るとか、電気屋でドライヤーを購入するとか他に選択肢はありそうなものだが、元より今日の出雲は追いつめられていて正常な思考が出来ていないのだ。
どのくらいの時間が経ったのか……
「おい、出雲」
背後から声を掛けられて、出雲はゆっくりと振り返る。
軒轅とその上に乗った虎賁であった。
「出雲、何でそんな変な格好しているんだ?」
「……変な格好で悪かったですね」
もう言い返したり、弁解をする気力も失せてしまっている出雲であった。
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだけどよ。なぁ出雲、この辺で離珠を見かけなかったか?」
「離珠さんですか?」
「ああ、あいつ酒飲んで一人で飛びだしちまったんだよ」
そして、虎賁は離珠が飛び出した経緯をかいつまんで出雲に説明した。
「私は見かけてないですけれど、探すというなら協力はしますよ」
出雲は以前、離珠の想いをこめた声を聞いたとき以来、彼女のことが多少気に掛かるようになっていた。
シャオを呼び出すために離珠を利用しようとした出雲に対して、彼女は自分が直接話が出来ないというのに、一所懸命想いをこめて出雲に『声』を送ってくれたのだ。
そしてその声はかれにはっきりと届いたのだ。
出雲としては反省せざるを得なかった。
そして、例えその思惑が異なっていたとしても離珠を楽しませることができたことに満足感を覚えていた。
出雲にとって離珠は既にその他大勢の知り合いとは異なる存在になっているのかもしれない。
実際、今も何とかみつけなければという感情が先に湧いてきていた。
以前の出雲ならば、離珠を見つけるのに協力してシャオに感謝されたい、そう考えていたはずなのに、今は違った。
「どうします、二手に分かれますか?」
「そうだなぁ、その方が見つけやすいかもな」
「虎賁さん、時計の見方は知ってますか?」
「おうっ、知ってるぜ」
「それじゃあ、私の腕時計を貸して上げますから、今から1時間後にそこの公園で落ち合いましょう」
出雲は目の前の公園を指さしたあと、腕時計を軒轅の右前足に巻いてやる。
失いかけていた活力が、出雲の体内に戻りつつあった。
出雲は虎賁たちと分かれた後、駅に戻ってコインロッカーに荷物を放り込むと足早に、離珠を探しに街に飛び出していった。
エピソード:星神のおもてなし大作戦(仮題)後半部に続く
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